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豚インフルエンザとアジア経済への影響

2009/04/29 08:09

 

豚インフルエンザ」が登場してしまいました。

4月27日、WHOが豚インフルエンザの警戒レベルを「フェーズ4」に引き上げたことを受けて、舛添厚生労働大臣は記者会見にて「ウイルスの国内への侵入を阻止するため、水際対策を徹底する」との声明を発表しています。

時を同じくして
加藤の自宅から程近い、シンガポール国際空港もかなーり、ものものしくなりました。
27日から、すべての入国する全乗客に対し、サーモグラフィーによる体温測定を始めています。

シンガポール国際空港の2008年の利用客は約3800万人!!。

パンアジアの人と物の流れのハブだからこそ、神経質になっているわけですが、これには前回の轍は踏むまい、という強い意志も感じます。

シンガポールは、2002~03年の新型肺炎(SARS)流行で、東南アジア最多の感染者238人を出し、計り知れないダメージを受けました。(WHO公表数値)

SARSのアタックは、パンアジアのハブであったシンガポールの機能フリーズに繋がり、そして東南アジア全域の人と物の流れが止まったのです。

そして今回、アジアでは通貨の下落や、出張の自粛、現地社員の一時帰国など、経済への直接的な影響も出だしました。

なんかいきなり松屋さんが豚テキ定食を止めたよう(・・?、やりすぎのような気もします)ですけど、日本の食卓への影響を考えると、この松屋さんだけじゃなくて、北米とメキシコからの日本への豚肉輸入は全体の7割に達しています。
ここで輸入が大きく落ち込めば、影響は相当大きくなるはず。

先日、バンコクに行った際に、ある日本食レストランの社長から
「正直言って97年のアジア通貨危機と02年のSARSじゃ、市場の冷え方は格段にSARSのほうが上だった」というコメントを貰いました。

データだけを見れば、アジア通貨危機のほうが影響の規模は大きかったようなんですけど、川下産業へのボディブローは効いた感があったってことなんでしょう。

今日は今日で、日本の金融機関の香港支店長がオフィスにお越しになっていたんですが、そこで「中国の経済・政治は磐石だよ。もう既に去年10月の経済危機なんか峠を乗り越えてるよ。でも豚インフルは正直かなり怖い。中国でこれが行っちゃうとお手上げのはず」とおっしゃっていました。

なんとかうまく伝染の根絶が進めばいいのですが。
あっ、Googleマップで感染状況をLIVEしてくれる人も現れましたね。

それにしても、せっかく薄日が射してきている世界経済への影響が心配です。

世界銀行は世界金融危機直前の昨年10月、鳥インフルエンザの大流行による経済的影響を弾いています。

そのときの試算によれば、流行地域への旅行、外食、観光、公共交通機関など幅広い需要減少を通じて、世界経済全体のコストは最大3兆ドルに上り、世界の国内総生産(GDP)を4・8%押し下げるとみていました。まぁ1700万人も死ぬなんて、考えがたいですけど。

しかし、ここに来てこの規模の追い討ちとなってしまうと、壊滅的打撃になるのではないでしょうか。

 

さて、今回の震源地はメキシコなんですが、ここ数日、その公表がかなり遅れたらしい、という記事をよく目にします。

本当はどの程度遅れたのでしょうかね。さっき、こんな記事を眼にしました。あるブロガーの方がBBC News の投書欄に寄せられた豚インフルエンザに関するメキシコの医師の投書を翻訳して紹介しています。これだけを読むと、かなり怖い。

でも
今にして思えば、リストラの方便だと、かなり揶揄された今年2月のパナソニックの駐在員家族帰国令のほうが、凄すぎで背筋寒いか。 

 

http://twitter.com/ykatou

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ケインズ経済学は不況時の学問

2009/04/13 23:31

 



僕が関西学院大学商学部に通学していた86年4月~91年3月の5年間(すいましぇん^_^;、一年留年しています)は、まさにコレまでの2千数余年の日本の国の歴史の中で「相対的に、日本が世界でもっとも豊かだった」時期でした。

はい、いわゆる「バブル経済」期です。


戦後、驚異的に復興した日本経済の近代史は、東京湾大華火祭のように徐々に大きな仕掛けへと駆け上がっていきました。そして、まさにこの期間こそ、フィナーレへと向い上がった特大の打ち上げ花火群だったと思います。

まさに86年4月より超右肩上がりの土地神話、株価暴騰がはじまり、88年と89年
ごろには激しい騰貴となって桁外れの消費を作り出したのです。

そして91年4月、まさに泡の如く飛び散りました。

GDPでその期間をトレースしてみると、よく分かります。
86年11月から回復過程に入ったわが国の景気が、GDPの実質成長率が87年4.2%、88年6.2%、89年4.8%、90年5.1%という超大型の景気となっています。
そして91年4月を山に下降局面に入り、91年は3.8%の成長率を達成したものの、92年1.0%、93年0.3%、94年0.6%と低迷したと記録が残っています。

更にその間の株価推移を見てみましょう。
82年10月から上昇基調にありましたが、その86年春より急上昇を開始、ブラックマンデーを軽々乗り越えて、89年末には4年前の3倍の3万8915円に到達します。そこから反落に転じ、92年8月(加藤が独立した月です)には1万4309円という大底となりました。


さて、冒頭になぜこのことを書いたのかというと、、、、

私事ながら、
加藤はバブルの予感、時代の匂いを背に受けて、大学に滑り込みました。
当時は
テンポラリーセンター(現パソナ)の南部靖之さんのような学生起業の経営者が脚光を浴びるよな時代背景にありました。そして、けっこう商学部での勉強に期待して入ったのです。

ところが現実は入学直後、、失望いたしました。
・・・本気で商売の勉強をしてやろうと意気込んで、まず履修した経済学の授業で学びましょう!とされた学問が、ケインズだったのです。
(06年にまぐまぐさんに受けた取材でも、同じよなこと言っていますね)

大学は商売の勉強にならない・・・勝手に世を儚んだ青二才は学生ベンチャーの道に進むことになりました。

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現代の経済学は、乱暴にざっくり2つ分けられます。

市場の不完全性を前提として、行政による総需要管理を旨とするケインズ派 と

競争的な市場経済主義を万能視する新古典派、その流れを汲む80年代以降の新自由主義 です。

前者が「大きな政府」、後者が「小さな政府」と言い換えると分かりやすいかも知れません。

で、問題のこの人、ジョン・メイナード・ケインズ(1883-1946)はイギリスの経済学者でした。

彼が開祖となったケインズ経済学ってのは、ひとことでいうと

資源の配分を市場メカニズムに任せておくだけでは危険であり、資本主義経済を
安定的なものにするには、政府が様々な政策手段を駆使する必要があるのだ!、というマクロ経済学です。

ケインズは、1929年の世界大恐慌から始まる30年代スーパー不況のさなかの1936年、主著『雇用、利子、貨幣の一般理論』(『一般理論』とも呼ばれてます)を発表。
それまでの主流経済学であった新古典派を根底から覆す新しい経済理論を打ち出しました。

29年の恐慌以降、新古典派のリクツ(民間人の自由な競争に任せれば市場メカニズムが働き、自動的に均衡がもたらされるはず)が、現実にはまーったく機能せず、「大不況」の中で、いつまでたっても失業(33年のアメリカの失業率は25%!)がなくならなかったんですね。

そんな中でケインズは、自由市場に任せたままだと全般的に需要不足が起き、失業者が大量に出たまま経済が落ち着いちゃうよ、と言いだしたんですな。
有効需要の原理

逆に政府が公共事業などの政策をとって財やサービスへの需要を増やしてやれば、雇用も増えて失業はなくなっていくことになるのだ!と。

ハイ、つまりケインズさんこそ、ルーズベルト大統領のニューディール政策の理論支柱となった訳です。

要するにケインズ経済学ってのは、不況下に生まれ通用した学問なんですわ。
道理で、最近の新聞によく載っているような事でしょ。


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いっぽう86年春。バブル経済の入口。

いまや、まさにバブル経済が百花繚乱の開花を見せんするタイミングに、
加藤はそのダイナミズムに乗り遅れまいと、精一杯イキがって背伸びして経営者
を目指そうとしていました。

意気込んで教科書パラリ読んで、
ケインズの言わんとしていることはなんとなくは解りました。

でもまーったくピンとはきませんでした。
正直「ナニ言ってんだ、このおっさんは」と当時は思ってました。



戦後復興期、死後も世界中で普及したケインズの思想ではありましたが、80年代以降は、新古典派の流れをくむ反ケインズ派の理論(新自由主義 路線)が再び力を持ってきました。
彼らは、政府は経済のことから手を引き、市場メカニズムに任せるべきだとして、再び「小さな政府」を主張していたのです。

そして、実際に規制緩和、民営化、財政削減といった反ケインズ的な動きが世界で進行していました。

そして、日本またそうだったといえると思います。
バブル経済を象徴するイベントであったNTTの東証上場は87年2月9日。
それまで大借金をつくり国家経営の限界といわれていた国鉄の分割民営化は87年4月1日です。
(加藤はこの2つの国営事業の民営化が、バブル経済の膨張にいちぢるしく寄与したことは間違いないと思ってます)


そんなイケイケの時期に『不況の処方箋』ケインズを面白いと思うわけがなかった、んです。
いま、倍以上の歳になった自分で当時を振り返っても、妙に納得してしまいます。


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そして現在。

まさに100年に一度といわれている 1929年以降最大の世界規模の大不況 がやってきたんで、ケインズ経済学が注目されています。

そりゃそうだ。前の100年に一度のときに、全面的に採用されているわけですから。グリーン・ニューディールとか呼び方までそっくりだし。
(相似に関しては、このコラムがオススメです)

でも近年のケインズ理論の結論によれば、ケインズ自身と異なって『政府支出を増やすことによる景気対策の効果はあんまりない』ということになっています。

どしてかというと、政府支出の増加で増えた人々の所得は結果としてほとんどすべて貨幣のまま持たれちゃうんで、消費需要の増加として拡がっていくことはないから ってことなんですよ。
(造られた景気で一時的に増えた収入では、先が見えない状況は変わらないので将来に備えて貯めちゃう、ってことでしょうか)

うふふふ、、やっぱ不況時の学問だよなぁ、ケインズは。

だから今は学ぶべきかもね。
そして、また景気が戻ったらどうでも良くなっちゃうんだろな。

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日本の平均寿命と平均年齢

2009/03/26 08:47

 

日本人が世界一平均寿命が長いことは皆さんもよく聞いたことがある、と思います。

07年の厚生労働省の発表の国際比較によると、07年で男79.19才、女85.99才。特に女性は圧倒的に世界一ですね。

寿命の長い順に挙げると日本、香港、アイスランド、スイスオーストリアスウェーデンスペイン、カナダ、、、と高所得かつ所得差が小さい国が続いています。

逆に経済発展は著しいけど、一方で貧富格差が非常に大きい米国中国、カタール、南アフリカが下位にいるのも見て取れます。

経済発展度が低い割に平均寿命の長い国と、高い割に平均寿命の短い国があるということも分かります。

キューバベトナムタジキスタン、コスタリカといった国は、経済発展度が低い割には平均寿命は長いのです。社会主義的政策=所得格差の幅が狭い国が多くなっています。

このあたりは、加藤が世界一の社会主義的国家とみなしている我が日本が、世界一平均寿命が長いことと、かなり関係がある!と見ました。


さて
かたや日本人の平均年齢はどうかというと、この面白すぎるブログによると
06年10月現在で43.3歳、、、毎年0.4歳増えているわけですから、今は44.1歳。こちらも、もちろん堂々のぶっちぎり世界トップです。いえーい。
 
かなりのおっさんベンチャーである弊社PanAsia Partnersも平均を余裕で?下回っています。

私の持論である、
年寄りであればあるほどブランドチェンジは起こり難い
が正しければ、日本は加速度的に、マス対象のブランディング広告がリーチコストに見合わない国 になりつつあるはずです。

先日、トヨタがマス広告費3割カットという記事が出てましたけど、中高年からの厚いブランド支持基盤を持つトヨタの国内売上にはそんなに影響しないでしょう。若い人は逆に新聞テレビあんま見てないし。
むしろ広告コストが下がって利益が増えます。その分の広告は伸びてるアジアで行い、新客を増やせばいい。


平均年齢が2次曲線が如く伸びているのは
① 平均寿命が猛烈に伸びている
② 子どもの数が減り続けている のダブルパンチが故。
この国家老齢化の加速は、アジアの経済発展速度 よりも速いでしょう。

この表によると不肖加藤が日本の平均年齢に追いつく2012年の老齢化指数は(生産年齢人口を20-69才と幅を狭めたとしても)96.3%!!です。


それにしてもこの記事には苦笑しました。
嗚呼、愛しの大阪。

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タンス預金の消費なんぞ当てにしちゃいけない

2009/03/21 10:22

 

戦後60数余年間、ずーっと日本は世界二位の潤沢な内需消費に支えられてきました。
車や家電、住宅のメーカーが何社あっても、ちゃんと売上も利益も毎年伸ばしていけるほどの消費がありました。

ただ21世紀となり、いまや日本という国の右肩上がりの時代は既に終わりました。日本は世界の先進国に先駆けて、人口&実質GDP純減の超高齢化時代に入っているのです。

しかし麻生さんも民主党もマスコミも、内需を積極的に刺激すべきだ、と言ってます。

加藤は、その根拠としてよく挙げられてる 日銀がはじき出したタンス預金とかをウソだと言っているのではありません。それを当てにしたマーケティングをすべきじゃない、と思ってるのです。

95年に5兆円程度程度だった「タンス預金」が30兆円になったってことですが、その理由として、銀行に対する不安で、定期預金をおろして現金で持つ動きが広まった って記事が多いんですね。


これは、すごい誤解だと思います。
日本の銀行の経営が不安だ、とか思ってる人なんて、何人いるか。
(日本は、ほぼ0の金利で、預金者が納得して120兆円もの資産を銀行に貸している特異な国です)

そうじゃなくて、これは世界一高い!相続税(についてはこの方のブログが面白い)や所得税をきちんと納めようという人が減っているってことではないでしょうか。

とうの昔に 制度が崩壊している=子・孫の世代には期待できない 年金にかわって、資産を「タンス」に移して課税を回避しようとしている、一部の民意の反映だと思います。

そりゃ、政治家は財産公開しないといけないからタンス預金多いと思うし、官僚は賄賂を顕在化できないから隠してるとは思うけど、そもそも一般の民間人は刺激されたからってタンスから出してパーッと使うほど、そんなに持ってないって。<br />
(金融危機で40億円の損をした、とのたまうアルカイダの友人の友人のような奇特なお金持ちがこっそりまだいるのでしょね)

消費とは若い世代のものです。たしかにサイフは爺さま婆さまかもしれませんが、使っているのは若者・若い親なのです。
超高齢化社会は、超消費減社会です。レジャーもお洒落も食も、生活レベル向上の意欲も、歳と共に細っていきます。

故に日本という国が国力を落としていくのは避けられません。国力の源である若い人口が減っていくからです。

そして、この問題に対しポジティブな対策は、選対的ポピュリズムとしか思えない定額給付金とかで消費を刺激(苦笑) ではなく、人口増大策を積極的に打つことだ、と思ってます。
そのための少子化策は確かに希望の光としてとても大事ですけど、短期では効果は得られません。積極的な移民増加施策をいま検討すべきでしょう。


いっぽうで生活者の消費という側面で世界を見れば、21世紀はアジアの世紀です。GDPも実体経済も新しい消費者もアジアが世界をリードしていきます。


これからの成長企業には、日本市場ではゼロ成長上等の覚悟で、エース人材や主要事業の拠点を、アジアに移転することを考えてほしいと思っています。

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秘書センターの紹介です

2009/03/18 12:04

 

ひとつ自慢話をしちゃいます。

それは
ここ20年で、僕自身が創業あるいは経営を引き継ぎ、かつその社歴の一時期に代表取締役社長を務めていた会社(過去形)は5社あるのですが、そのいずれも<太>きちんと健在!</太>ということです。休眠・幽霊もありません。(うちメディアレップドットコムのみ現在はGMOアドパートナーズの血肉に溶けていますけど)

けっこうスゴイことだと思いますよぅ。創業時以来、現在も社会的な存在価値があるってことですからね。

さて、その中に3月にめでたく設立6周年を迎える秘書センター株式会社があります。

まず、ナニがすごい(当時も今も誰も・・言ってくれないけど)って会社名がすごい。ちなみに「秘書センター」で検索すると、JWordサイトで会社名登録されてるんだもんね。


同社は、他社なら普通に月額5万円~20万円相当になる、24時間365日の運営体制を独自のシステムで効率的に安価に提供を実現できているのが、最大の強みです。

よくタクシーに乗ると前のポケットに入ってる広告のような電話秘書サービス(ここね)と同じ業態です。ただし基本料金に深夜も明け方も盆も正月も年中無休の受付がついていて7500円から請けちゃう。

なぜ、そんなに安くできるのか。

その最大の秘密は電話を受けるオペレータさんが在宅勤務!だから。

そういうオペレータさんが自宅に居ながらにして架電処理するサービスを「分散型コールセンター事業」っていうらしいんです。でも、僕がこの事業を思いついたとき、そんなことを既に事業モデルとして考えている人がいたり、そういう呼び方があることさえ知りませんでした。

オペレータさんを在宅勤務にして見込み(これぐらい電話なりそうだから、これだけ出勤してもらおう)ではなく、都度お給料をお支払いするVoIP技術を導入した自宅待機にすれば、コールセンターのボリュームコストである家賃と人件費が変動費化/最小化されるのではないのか、と思ったのが、最初のきっかけでした。


電話はまずセンターとなる交換機につながり、オペレータさんは出勤せず、全ての電話は自宅に転送。給与は一件処理いくらで計算、働いた回数分だけ払う・・という仕組みです。

(これによりさまざまな事情で、家の外に出て働くことが出来ない方の雇用も創出することが可能になります。設立時から現在に続く、同社のもう1つのテーマとなっています)

ご存知の方も多いと思いますが、ケータイやWebの発注は(特に平日は)22時回ってから深夜一時くらいまでがいちばん伸びるのです。

この記事によると家電通販サイトのECカレントさんの実績では「夜間・深夜の時間帯に占める受注・購買件数の割合は平均して全体の約50%」ってことです。
ケータイやwebでの受付はやっていたとしても、このネット通販のピークタイムに電話の受付をすれば商機の拡大に繋がるのではないか、という仮説も前提にありました。

この不況下にもかかわらず、秘書センターの営業は堅調な様子です。お友達の会社も何社も使ってくれていますが、みなさんからも概ね大好評っす。6周年おめでとう。これからも頑張ってください!

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TSUTAYAがない  ③ マンガ・雑誌そしてゲーム編

2009/03/15 09:19

 


シンガポールにはTSUTAYAがない。とても不自由です。

TSUTAYAは、ぼくの18歳以降の人生において絶えず存在していた空気のような存在です。
TSUTAYAがないことに気づいてタイヘンなことだ、と改めて思ってます。

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ぼくは小学校に入る頃、既にマンガにかなりはまっていました。記憶のルーツをたどると、それはテレビ・アニメーションとシンクロしてます。

最初は貸本屋で ど根性ガエル!でした。

続いてマジンガーZ、ルパン三世、ドラえもん、人造人間キカイダー、天才バカボン、、、、、

平行して、同じ時期にはマンガ雑誌にもはまりだしていました。最初はたのしい幼稚園。
そしてテレビマガジン、冒険王、少年マガジンテレビランド、月刊少年ジャンプ、、、、

弟妹も多かったこともあるんだと思うんですけど、小学校に入った頃、放任というか、好きなだけマンガを読ませて/アニメ観させてもらっていました。

(余談ですけど、いま僕はシンガポールの地で、日本のアニメやマンガのことを仕事にしようとしています。もう35年も前のことなんですけどよく覚えているんですよね、ディティールまで。有り難いことです。親に感謝)


アニメへの熱は受験勉強(84~85)あたりを機に冷めてしまいましたが、(ボトムズの頃が切れ目です)

マンガと雑誌への傾注は、7歳(74年)から雑誌広告を自らの生業にする頃(~25歳/92年)までずっと続きました。

大学入学以降、大阪に居た頃(86~89)は、しょっちゅう江坂のTSUTAYAで、雑誌(宝島、噂の真相、ブレーン、プレイガイドジャーナル、広告批評・・)やマンガの単行本(大友克洋、吉田秋生、とり・みき、内田春菊、星野之宣・・)を買って読んでいたんです(愉しかったなぁ)けど、東京に来てからは読まなくなっちゃった。

いま思うと雑誌に埋もれるようになりだして、有り難味がなくなったのと、家帰ってまで読みたくない、と思うようになってたんだと思います。

逆にあんま読まなくなって以降は、ずっと会社でも家でも雑誌に囲まれて生活することになってましたので、96年にネット広告にそぞろ転向しようという頃には、毎月届けられる広告取扱いの掲載誌・見本誌だけで150誌を超えていましたねぇ。アハハハハ。

雑誌広告を仕事にしてからというものは、大見得切ってお得意に雑誌広告を売っていたもんで、発売日が集中する毎月21日、22日にはずっとTSUTAYAの店頭に行き、並び具合・積み具合・売れ具合をチェックしに行ったものです。

中目黒でも、新宿でも、南青山でも、松江でも、六本木でも、渋谷でも、ドキドキしながら観てました。立ち読みしている顔つきを(笑)。

日本の雑誌広告市場のピークは翌97年。雑誌の販売市場そのもののピークもその年でしょう。(96年、雑誌の総発行部数は51億2千万冊/約4000誌発行)

その頃もそうでしたが、恐らく空前の雑誌不況に見舞われているコンニチでも、いまだなお日本は世界一の雑誌大国であることは間違いない、と思います。

私が必死になって雑誌広告売っていた95年、コンビニの店頭に並ぶレディースコミックだけでも月50誌はありました。おそらくマンガ雑誌は当時、週刊・月刊・ムック、少なくみても常時300以上あったと思います。

そして雑誌の数も新作マンガの数も大幅に減ったコンニチでも、いまだなお日本が世界一のマンガの国であることも間違いないでしょう。

ていうかマンガだけではありません。アニメも小説もゲームも(ここ40年ずっとそうですが)、、、こんなにも多くのストーリーのある読み物が商用で新発売されている国は日本しかないと思います。

いまシンガポールにいて、アジアを渡り歩いていて、つくづくそう思います。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

ところが、シンガポールにはTSUTAYAがない。

TSUTAYAどころか、シンガポールにはどの本屋にもマンガも雑誌も少ししかありません。都心のBORDERSに行ってもアメリカ系の雑誌が200種程度あるばかりです。
「あった!」と見つかるマンガはほぼ全て日本のマンガ。しかも全てマンダリン、英語の翻訳版なので読めない。つまり読める本はありません。

だもんで、毎日、日本の新聞と日本から持ってきた本を読んでいます。

・・・・てな訳で大好きなマンガはもう少し年を重ねてから、また読み直すことにしようと思っています。

それにしても、、いまはTSUTAYAで貸本やってんですよね。輪廻すごいなー。ALLWAYSの頃の文化だよ。



余談ですが、
ぼくはこう見えても(・・どう見えているかは知らんが)いわゆるゲームには縁がありません。
仕事柄、耳年増ですけど、実はファミコンの昔から、スーファミもサターンもPSもDSもまったく触ることなく大人になりました。

それでも折角なんで日本を離れるにあたって、嗜みよろしく流行りのwiiは買っておいたんです。移住前に、シンガポールの家電店に並ぶwiiを見てたこともあって。

ところが、我が家にはほとんど意味がありませんでした。

何故ならば、こっちで売っているゲームは、日本とリージョンが違ったから。つまりブロックされててプレイできません。先に言ってよ。任天堂さん。

もちろん国内専用って箱には書いてるよ。でもDVDはリージョン違っても観れてるわけだから大丈夫かなと思っていたんよ。

ゲームには素人は手を出しちゃいけない ってTSUTAYAの人に訊いておけばよかった。

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小さい会社が勝つ方法  ランチェスターこそ正攻法

2009/03/13 02:05

 

戦争というものをはじめて定量的、数学的かつ統計的に説明したのがF・W・ランチェスターさんだそうです。

それまでの戦争理論は、戦争を思想、哲学、観念など定性的にしか捉えていませんでした。ランチェスターさんによって初めて戦争が科学的に説明されたんです。

この軍事戦略理論「ランチェスターの法則」を礎にして、戦後の日本で田岡信夫さんによって企業間の販売競争に勝ち残るための、販売競争の理論と実務体系として構築されたのが「ランチェスター戦略」です。

・・・・・・・・ということを僕に教えてくれたのは、

僕が大学を出たか出ないかの端境期に、当時リョーマで取り組んでいた某商社でのミッションにて知り合った福永雅文さんです。

ご一緒に取り組んだ某商社や某新聞社の仕事はあまり実にはなりませんでしたが、一方で公私共に親しくさせていただいた加藤は、その後の95年9月、福永さんの栄えある挙式の司会(生まれて初めての結婚式司会でしたぁ・・・)に抜擢していただき、難なく(?)こなしました。

その後、加藤がテレビのお見合い番組のドタキャン対応の代打に狩り出される羽目になり、推薦人(ひとり応援団)をお願いし、一緒にテレビに出てもらったりもしました。

彼はその頃、ランチェスター戦略と出会い、本格的な勉強と実戦での応用を進め、99年に独立コンサルタントとして起業しています。

そしてNPOランチェスター協会インストラクターに認定され、01年には戦国マーケティング株式会社を設立し現在に至っています。
(現在はNPOランチェスター協会の理事・研修部長に就任されています!)

今日も福永さんは小が大に勝つ「弱者逆転」を己の使命とし、ランチェスター戦略を中心に戦略の必要性を普及啓蒙しています。
著書やメルマガ(まぐまぐ殿堂入り)を執筆し、公開セミナーのセミナー講師など、八面六臂の活躍で情報発信し続けています。

これまでも小さい会社が大企業に勝つために多くの企業が、ランチェスター戦略を学び、応用して実戦(実践)してきたのです。

私自身もいくつかの中小ベンチャー企業を20年営んできました。

加藤も福永さんを通じて、2000年にランチェスター戦略を知り、以来ときどきに自分の 会社の 置かれた立ち位置をトレースしては己の次の行動を決める参考としてきたのです。

さて
ランチェスター戦略はビジネスにおける共通言語だ!と唱えている、そんな福ちゃん もとい 福永雅文さんが、ランチェスター戦略を初めての人でも分かりやすく具体的に理解できるようにと、マンガという日本の優れた表現手法を使って、

 

局地戦、一点集中主義、差別化、接近戦、No.1主義という、ランチェスター戦略を代表する大切な共通言語を理解するため、5つの物語を載せたコミックを上梓されました。

面白い!分かり易い!!ので読んでみてください。

 

ランチェスター戦略   福永雅文/神崎真理子 著

 

 




日本の多くの企業は厚い内需に依存し、箱庭ガラパゴス鎖国のぬるま湯に肩まで浸かり、ビジネスの大原則である「弱肉強食」という現実にこれまで眼をつぶってきました。

しかし
じりじりと顕在化してきたグローバル経済と少子高齢の進行という地盤沈下に加えて、世界同時金融危機という隕石が落ちたいま、日本の企業は地殻変動の事実を受け入れ、アジアの成長に企業の活路を見出すべき、待ったナシのタイミングを迎えていると思います。

損保だけではなく、あらゆる業界で大手による合従連衡が進み、弱小を淘汰していきます。もう仲良し業界を続ける猶予も余裕もありません。

日本という箱庭で一番の大手/老舗/磐石企業も、アジアの、世界のマーケットで見れば6位、7位、圏外です。

国内でのシェアに溺れ、戦うことを避けてきた会社にグローバル市場で勝つことは出来るのでしょうか。

ランチェスター戦略によると、、、、出来る♪ 
やり方次第で小であっても大に勝てる、と書いてあります。
(完全に加藤の営業のネタばれだなー(^_^;)

ということで、ご一緒にアジアでランチェスター実戦をポジティブに楽しみましょう。
 

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IPOが減った一番の理由

2009/03/08 02:49

 

熊谷さんのブログ見て激しく同意。

いま日本のベンチャー企業が新規株式公開(IPO)に際し、日本の株式市場より海外市場を選択したい、あるいは選択せざるを得ないのは合点がいっちゃいます。

ネットバブル崩壊の喪が明けた02年度から増加の一途だったIPO企業数は、06年度の188社をピークに、ここ2年急減しました。07年度は121社、08年度は16年ぶりの低水準となる49社となりました。

もちろんマザーズ、ナスダック・ジャパン(現ヘラクレス)開設が決まって「大公開時代」の幕が開いた99年以降で最低。・・まさに10年巻き戻ったということですな。

もちろんIPOが減った原因としては、この日経ビジネスオンラインの記事が指摘しているように
・ 公開審査の実質的な内容が厳密化されたこと  があるし、
・ 新・会社法等の施行やJSOXの実施に伴って、公開準備会社においては内部統制の整備と運用に時間とコストがかかったこと  もあるでしょう。

でもね、それよりなにより、思うにIPOが減った一番の理由は、日本のベンチャーが総じて人気がなくなったことだ、と思いますよ。

・一般ピーポー とくに若者
・一般投資家
・外国人含む機関投資家

押し並べてまっ~たく興味・関心がなくなってしまいました。きれいさっぱり。

一般ピーポーの意識に関しては、ほんとに10年前にもどっちゃったなぁ、という気がしています。

もともと日本って、寄らば大樹の傾向の強いお国柄であることは今も昔も変わらないんだけど、、大公開時代の頃の98年から06年まで、ナニが面白かったって、若く元気いいベンチャー企業が我も我も、と名乗りを挙げていたことにあったと思うんですよね。
ビットバレーの頃にはエッジの立った若い経営者達が次々とスター化したことも大きかった。

もちろん、その間にネットバブル崩壊とか揺り戻しはありましたけど、それでもやっぱりインターネットのもたらした本質的なイノベーションの破壊力はもの凄くて、それが06年を頂点とした「大公開時代」を牽引したと思うんですよ。

だから優秀な若者も、学校卒業して、そういう新しい会社に本懐を見出して就職していったんですね。

でも去年から、官僚・当局・マスコミ・政治家が寄って集って、表から裏から、あることないこと、手当たり次第に若気の至りなベンチャーを叩き懲らしめたことで、ほんとに全体が縮んちゃった。

その結果、くまさんブログの↑慶応の学生含め 一般ピーポーはベンチャー経営者に「頭を下げている」イメージ持っちゃった。つまりカッコ悪くなっちゃった。これは痛いんだな。

06年までの数年に上場したベンチャー企業の株価チャートが新規公開時の初値を頂点にロングテールみたく際限なく下がっているのは、ときの株価が妥当だ と買い手が判断しちゃっているわけなので、ある意味仕方がないです。哀しいですが。

しかし人気がないのはマジで不味い。だって一般ピーポー≒一般投資家に、人気ない≒関心ない と 株の売り買い自体が発生しないから。

最近はヘラクレスやセントレックスの銘柄では、日々の出来高が0か1しかないものも多いんです。二進数プログラムか、田舎交番の死亡者数じゃなくて、出来高ですよ。
出来高が1ってことは、今日一日で買った人と売った人が世界で一人ずつしかいないってことなわけで。
これじゃ公園のフリマと大差がなく、取引所としてほぼ機能していない状態です。

そして当たり前だけど、新規上場ベンチャーに人気がない からいきなり株価も芳しくない。新規上場時の最大のメリットの調達もほとんど出来ない。
故に上場する側のメリットも極小化しちゃって、終いにゃ上場を目標とする会社も減るんですね。

ということで10年前に逆戻り。

10年前とほぼ同じ顔ぶれの新卒の就職志望企業ランキング(リクルート)をご覧くださいませ。

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おはなしになる国

2009/03/05 16:02

 

私が母国を出て移住した理由は、
日本を外から揺さぶり刺激を与える存在となること を目指さん と国外に軸足を移し活動しよう、 と思ったからですが

では何故、約束の地がシンガポールになったのか、ということを聞いてくださる方もけっこういます。

・ 成長ポテンシャルがいまだに高い
・ 安全 安心 (治安が世界一いい、という人も多い)
・ アジアの経済の要所となっている
・ 過ごしやすい気候と環境

などいくつかあるのですが 加藤個人にとって大きな理由として 英語がちゃんと喋れない人に優しい ということを挙げちゃいます。

シンガポールって国は実は440万人弱しか住んでいません。しかも居住者の1/3が外国籍の人です。

国土は700km平米と23区と同じ程度しかなく、国の人口密度はモナコの次に高いんです。つまり移動距離も短い。

そんな小さな国土に43年前にマレーシアから脱出した(主に)Chineseのみなさんが作った国がシンガポールです。

いまもここに暮らすひとの78%(ウィキペディアによると350万人)はChinese Singaporeansということです。

つまり43年前からシンガポールの公用語はEnglishなんですが、それを話しているのは大方Chineseの皆さんなんですね。だから彼らはMandarin(中国の公用語・官話)ベースのルーツ言語も話しながらEnglishも話すんですよ。(うらやましい&かっこいい)

Englishしか話そうとしない人が大方のアメリカーン(日本人と同じ単一言語人)ばかりのニューヨークやロスでは、私のようなEnglishを多少しか話せない人類だと、まるで異星人かのように扱われた挙句、しまいには相手にされない、電話も途中で切られる、こともしばしばです。

いっぽうシンガポールはそういった背景(ChineseがEnglishを公用語としている)のおかげなのか 一時移住者が極めて多い からなのか分かりませんが、当方の英語がカタコトでも文法めちゃくちゃでも、懸命に解ろうとしてくれる姿勢を感じる方が多いんですよね。

だから一年くらい前、移住する場所としてシンガポールを真剣に考えたとき、外国暮らし初心者の私でも、英語がイマイチ全くな私にも 暮らしやすいのではないか、と思ったんですよ。

事実、そうでした。皆さん寛容なんですよねぇ。ありがとうございます。

でも 周りが英語が満足に聞き取れない、話せない状況を受け容れてくれているからといって、それに甘えてEnglishが身につかない のは大問題です、よね。

・・・・7月に東京から持ってきた英語の本がまったく進んでいない!!。
来月こそはじめよう。

昨晩は、英語の習得に毎週末の僅かな自由時間を毎4時間も充てている立派なマレーシア青年と宴席で一緒でした。そう、彼のような若者も英語喋れない私にフレンドリー。

みーんな最初から話せるわけじゃないんだよな。
彼のように みんなが努力して勉強して、公用語を身に着けてる国シンガポールで 私自身もおはなしできるようになりたいです。

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おはなしにならない

2009/03/01 16:27

 


2年前、こんなことがありました。

いまも大躍進を続けているネット企業のG社から、世界中のビジネスパートナーを一堂に集めた大カンファレンスに招待を受けました。

それまでも何度も西海岸やNYのネットメディアやサービスの企業にはご訪問していたのですが、さすがに全世界から同時に同じ場所に300人!もの同業者やメディアパートナーが集まるという機会は、そのときがはじめてでした。

招待者限定のカンファレンス。
日中は2日間に渡り、ずっーと主に米国の著名なIT企業経営者や学者・政治家による講演やパネルディスカッションがあるのですが、、、加藤が驚愕したのは、その内容ではなく、それらの同時通訳をヘッドフォンをして聴いているのが日本から来ている15人のうち10人強だけだったことでした。

いや、よくみると主催者が同時通訳者を用意しているのは英語→日本語だけでした。
日本人以外の招待者は全員ひとり残らず英語でのスピーチをそのまま聴いていたのです。

英語しか話さないアメリカンが同時通訳を必要としないのは分かります。
ですが、その場には20カ国超の国々からの招待者がいました。ヨーロッパや南米、もちろんアジアからも中国台湾韓国、香港、インドシンガポールインドネシア、タイetcと幅広く招待されていました。その全員がネイティブの英語が聞き取れているのです。あの早口の。

更にショックだったのは2日間に渡って開催された夜のパーティです。
G社の幹部層と招待者が交わって歓談するパーティは同じ業界に身を置く異なる国のキーマンでたいへんな賑わいとなりました。みな国境や商圏を越え闊達なディスカッションとなっています。きっと商談や提携のネタ繰りで盛り上がっているのでしょう。

一方、私はもちろん日本から来ている日本のネットメディアおよび広告業界のメンバーはほとんどと言っていいほど他国の方々とのコミュニケーションになりません。

もちろん日本からの招待者のなかに英語が分かって話せる人はいたと思います。
しかしまるで不定形生物体のように、日本からの12、3人は群れ、パーティ会場のはしっこで緩く固まってしまいました。

各国からの招待者やG社の幹部たちは、私たちに慮り、近寄ってきてはくれます。
そして名刺交換、軽い会釈・握手はするのですけど、そのあとのコミュニケーションは続きません。私自身も薄ら笑いで愛想作るに留まります。日本に帰ってきてからもメールやSKYPEのコミュニケーションには繋がりません。


この経験は私にとって極めて大きな気づきとなりました。

加藤自身、中高6年、大学2年と英語教育を受けているはずです。一緒に行っていたメンバーも同じかそれ以上の学習を経ています。
またかつて日本は世界で最も活発に海外旅行をしていたはずの国です。斯く言う私も、それまで20度を超える出国経験がありました。でも、その度に当たり前のように通訳の方に訳して貰っていました。なんの躊躇いも感じてませんでした。

いったい私は、いままで何をしてきたのか。

英語を8年も学びナニを得てきたのか。
海外旅行に出てナニをしてきたのか。
グラマーを受験用の知識として得てきただけではないのか。エッフェル塔やナイアガラの滝をバックに記念写真を撮ってきただけではないのか。

そして日本のネットベンチャーが概ね内需100%の売上にとどまり一歩も海外に出られていない理由は、もしかしたらコレが主因なのではないか。

英語が話せないのではなく、英語を話さない、異国の方と話そうとしないメンタリティこそ成長の芽を摘んでいるのではないか。

おはなしにならない、とはまさにこのことなのではないか。


シンガポールに移住して、よくご指導をうけるのは「日本人コミュニティに埋没するな」という点です。実際、群れているらしいです。

金融関係或いは商社やメーカーの方が2~3年の駐在、というのが居住者の典型だと思うのですけど、シンガポールに限らず、下手するとほとんど日本語以外喋らないまま帰国することが多いそうです。

もちろん語学力そのものは必要です。
がその前に、多様性を受け容れ、目を合わせて「おはなし」に努める姿勢がないと、その力も結果に繋げることはできないのではないでしょうか。

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